熟女屋店長ブログ

皆さんこんばんは、川崎の油舐めこと寺川内 耕造でございます。

「現実は小説より奇なり」とは申したもので、現実に起きた事件が小説などの物語よりも格段の不可思議さを伴っている場合がございます。

しかし逆に現実を小説に取り込んだことで小説の世界が陳腐になってしまった作品があり、そんな作品を2日に渡ってご紹介させていただきました。

ここで勘違いしてほしくないのは東野さんも宮部さんも好きな作家さんだということ。
じゃないとそもそも読まないですからね。

そして同じく東日本震災を物語のさ中に入れてありながら陳腐にならず、逆に物語の背骨になっている作品だと自分が思うものがあります。

それが誉田哲也さんの「幸せの条件」です。

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誉田さんは様々なジャンルの作品を書くことで有名で、作風をがらりと変えて「書きたいものを書く」という、そこだけを切り取るとまるで子供のように感じてしまいますが、洗練された大人の押しつけがましくない作風、そして想像力を喚起する物語の細やかな描写が素敵な作家さんです。

しかし読者の想像力も入り込むことができる、行間にちゃんとスキマのある作家さんでもあると思います。
いろんな想像力を喚起させながら今回の作品は悲嘆にくれるだけで終わりません。

だからこそ、この作品を映像化してくれたらいいのに、と思うのですが…。

不思議なもので現在のテレビ局というのは人の生死をかけた殺人事件などの小説作品は早い段階で映像化されるのですが、こういったタイプの作品はなかなか映像化されませんね。

と書きながらどういったタイプの作品なのか書いてないような気がします(汗)。

誉田さんはこれまでに書いてきた作品の中では「ストロベリーナイト」や「ジウ」など凄惨なシーンのある作品も描いており、こちらはドラマにもなりましたからご存知の方も多いでしょう。

一転こちらは農業に生きる世界の物語ですから凄惨なシーンなんて出てきやしません。
(いや、カエルがあわや…なシーンがあったな…)

そして震災に物語の途中で巻き込まれますが、それでも強く立ち上がろうとする人々の物語ですので悲しみをそのまま放置したり上塗りしたりすることなく、きちんと向かい合い、その善後策を提示してしっかりと物語を進めていくところに好感が持てます。

物語はしっかりと問題提起をして読者に問いかけます。
「再び、或いはあれ以上の未曾有の天災が起きたとき、君ならどうするのか」と。

決して答えの出ない問いかもしれません。
いや、多分そうなのでしょう。

しかし、考え続けることが、忘れないことが大事なのではないかと思わずにはいられない。
願わずにはいられないのです。

そんな作品です。

お涙ちょうだいなシーンはさほどなく、重くなり過ぎずに物語が展開し、収まるべきところに収まるのは作者の取材と小説の構成力、そしてなによりも魅力的な登場人物たちの存在だと思うのです。

今日、世界は動いています、何事もなく。
しかし明日の世界が今日と同じである保証は何もないという現実の中で、私たちは生きているのです。

皆さんこんばんは、川崎の油舐めこと寺川内 耕造でございます。

「現実は小説より奇なり」とは申したもので、現実に起きた事件が小説などの物語よりも格段の不可思議さを伴っている場合がございます。

しかし逆に現実を小説に取り込んだことで小説の世界が陳腐になってしまった作品があります。
個人的にはとても好きな作家さんなのですが、現実を小説の中に取り込んだ瞬間、その作品がとても陳腐なものに思えてしかたなくなったというものです。

その代表的な作品のふたつのうち、ひとつは昨日紹介させていただいた東野圭吾さんの作品で主人公、加賀恭一郎のシリーズ、「祈りの幕が降りるとき」

そしてもうひとつが宮部みゆきさんの人気作品「杉村三郎」シリーズの一番新しい作品「希望荘」です。
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これまで発表されたシリーズの数で言えば「誰か」「名もなき毒」「ペテロの葬列」「負の方程式」に続く5作品目ということもあり少なく感じるかもしれませんがそのひとつひとつはとても大きく思いM作品ですので読み応えのあるシリーズだと思います。

今回の「希望荘」はこれまでの主人公とは置かれた環境がまず違います。
そういったこともあって物語の舞台の広がりに期待が出来るのではないかと思ったものです。

「希望荘」は短編集と聞いていたのでこの次に出るであろう作品への助走であろうと認識し、大きすぎる期待は抱かないようにしながら作品そのものを楽しむようにしようと思いました。

宮部さんの作品は読み進めるにつれ、どことなく「何かが足りない」と思わさせられるような気がします。
それは物語の中に留まらず、現実であるこちら側にまで侵食してくるほどでその虚空とも思えるような喪失感を感じながら読む、そんな感じがするのです。

いずれ読み終わった瞬間、現実の中で「失われた何か」は本の向こうからはい、どうぞと返してもらえることもあれば何も応えてこず、永遠に失われたままのように感じたりもします。

「失われた何か」はその作品を読み進めるうちに姿形を変えたりしています。時に「家族の絆」のようなものであり、「青春の苦い思い出」のようなものであり、「あの瞬間の自分の選択」のような、あの瞬間確かにあったけれど手に持つことのできない不確かなものであったりします。

ひょっとしたら自分の人生とほんの数ミリずれたとこにあるもうひとつの自分の世界のようにも感じることがあります。

そんな虚空と引き換えに読むことができる作品である宮部さんの作品の中でも東日本震災が出てきたとき、自分は「このあとどうするつもりなのだろう」と思わずにはいられませんでした。

震災にかかわる場面は物語の最後の最後に出てきます。
そして(多分)次の巻に引き継がれていきます。

世に登場するのはもうしばらく後のことでしょう。
その時自分の心境が、或いは世間の状況がどのように変化していくかによって読み手の受け取り方も幾分変化を伴うと思うのです。

震災が姿を現した物語の末尾がどのような獣の尻尾なのか、その存在が姿を現したときどのように読むことができるか、待つのが楽しみであり、怖くもあり、という感じです。

これまでの作品は一連の流れを持ってドラマ化されていますのでそこも含めて果たして映像化されるのかどうかも含めていろんなことをふところで温めながら作品の登場を待ちたいと思います。

なんちゃって。

皆さんこんばんは、川崎の油舐めこと寺川内 耕造でございます。

「現実は小説より奇なり」とは申したもので、現実に起きた事件が小説などの物語よりも格段の不可思議さを伴っている場合がございます。

しかし逆に現実を小説に取り込んだことで小説の世界が陳腐になってしまった作品があります。
個人的にはとても好きな作家さんなのですが、現実を小説の中に取り込んだ瞬間、その作品がとても陳腐なものに思えてしかたなくなったというものです。

その代表的な作品をふたつ紹介させていただきましょう。

ひとつは東野圭吾さんの作品で主人公、加賀恭一郎のシリーズ、「祈りの幕が降りるとき」
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加賀恭一郎シリーズは主演阿部寛さんで映像化もされ、人気の作品です。
劇場版 祈りの幕が降りるとき 公式サイト
一応この作品で加賀恭一郎シリーズは最終巻というように言われているのですが、物語は東日本震災ののちのことを作中で描いています。

これはあくまでも個人的なことですが、東日本震災の実際のニュースやボランティアで行った先々のことを思い出すと小説の中の物語が陳腐なものに成り果ててしまうのです。

これはあくまでも自分の読後感ですから読まれた方皆さんに当てはまるとはいいませんが、それでもあの震災を受け、現実に体感した人間としては震災の事実が大きすぎるが故にそれまでかっちりとした箱のように手に取って感じられた物語が、まるでトイレットペーパーででもつくったかのようにはなはだ頼りないもののようになってしまった。

そんなふうに感じたのです。

事件の全てが(といっては言い過ぎかもしれませんが)震災ありきで構築されてしまっているとき、この物語は悲しいけれどあっという間に風化してしまいかねません。

何年も何年も読み返すことができるのは、あくまでも小説としての物語が小説の中でしっかりと完結していることが大事なのではないかと思うのです。

であればこそ、先生の「容疑者Xの献身」は今なお何度も読み返しますし、「白夜行」はあの厚さにも関わらず何度もその物語を、彼らのたどった道を何度も振り返るように読み返すのです。

そして残念ながら「幻夜」は「祈りの幕が~」と同じ理由で何度も読み返すのが苦痛な作品となっているのです。

時々先生は現実を取り入れて作品を書かれることがあります。
例えば湯川教授のシリーズのとある作品にも、ドラマ化されたガリレオシリーズからの引用があったりします。

それが功を奏してくれればいいのですが、あまりにも重い現実の前ではただただ呆然と立ち尽くすしかなくなるのです。

「祈りの幕が~」は最終物語と銘打って本屋さんでも大々的に売り出していましたから期待も大きく、購入も早い時期だったと思います。

しかし、この作品はまるで映画化を念頭に置いた「シナリオブック」のように思えて仕方がないのです。
つまり、映画化の為に描かれた作品と。

正直な話、震災をテーマの奥底に据えておけば物語を観て感涙する人は多いでしょう。
多くの人が胸を締め付けられるような悲しみを感じずにはいられないでしょう。

しかし、何度も見たい作品かどうかと問われれば、自分は書籍は一回で十分だと思ったし、映画はいまだに観ていませんが率先して観ようとは思えないのです。

どうしても。

現実が目の前にある。
でも小説はある意味において非現実の世界であり続けて欲しいと願う虚構の物語なのです。

そこに「現実」が重くのしかかってきたらもう…お手上げです。

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